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枠にはまるな。

スクリーンショット

今回の第43回東京モーターショー2013では、新しいS660コンセプトが話題となっている、
SPORTS360復刻がホンダのアーカイブとして展示されるようです。新たなS660コンセプトは今のホンダがもっと早く登場させるべき車でした。また、今回のホンダは、新しいクルマ作りの技術と古き良き時代の創業者宗一郎のスピリットが、今現在も生きている事のメッセージであることに感動しています。ホンダ50周年とホンダビートが20周年なのでホンダからはビート20周年として今後ビートを乗る人達にメンテ部品等が提供されています、消耗品などは心配する必要は今のところないですが。いずれ部品供給が無くなる状況だと思いますが。

また本田宗一郎が亡くなる最後の企画がホンダビートでした。出来上がった時は喜んでビートに乗り、笑顔でアイルトンセナと話し手いたらしい。。。
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第43回東京モーターショー2013でSPORTS360復刻

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Honda初の四輪開発にあたり、本田 宗一郎からは「スポーツカーをやってみろ」、専務の藤澤 武夫からは「トラックをやったらどうか」との話があり、オープンスポーツカーのSPORTS 360と軽トラックT360が誕生した。
本田 宗一郎には、《既存メーカーと競合するより新しい需要を開拓すること、日本の自動車産業を国際的に通用させるためにはレースによる早期育成が必要で、その ためにはスポーツカーがいる》との想いがあった。そして「出すからには世界一でなければ意味がない」との信念から、水冷・直列4気筒DOHCエンジンをは じめとする珠玉のメカニズムがSPORTS 360とT360に採用された。さらにSPORTS 360に与えられた赤いボディカラーは、当時法律で規制されており、Hondaが孤軍奮闘によって使用許可を取り付けた民間では国内初のボディカラーだっ た。
1962年6月。建設途中の鈴鹿サーキットで開かれた「第11回ホンダ会総会」で、本田 宗一郎は開発責任者の中村 良夫を助手席に乗せ、真っ赤なSPORTS 360で観衆の前を駆け抜けた。Honda四輪時代の幕開けである。そして同年10月の「第9回全日本自動車ショー」にSPORTS 360とS500、T360を出展し国内外に大きな反響を巻き起こした。
しかし、ご存知の通りSPORTS 360は発売には至らなかった。それは、輸入自由化を前に「車種グループ」を規定し担当する自動車メーカーを制限・育成することを想定していた特振法が施 行予定だったことが理由のひとつとして挙げられる。360ccの軽自動車と500ccの小型車の両方の生産実績を得ることで、Hondaが2つの「車種グ ループ」で生産を行う自動車メーカーとなること、また海外進出を見越して通用するクルマとするための排気量アップだった。のちに国内自動車メーカーの保護 を目的とする一方で自由な競争を制限する特振法は廃案となった。

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